今も残る中国大陸版の魔窟九龍城、石牌村に潜入。広州の時代に取り残された城中村とは一体…


はじめに

かつて魔窟と言われた香港の九龍城。それに似た趣を残した中国大陸版の九龍城石牌村というエリアが中国第三の大都市、広州にあるのをご存知でしょうか。今回はその石牌村を取材してきましたのでその様子をご紹介します。

石牌村とは?

まず石牌村というのは、もともと農村の普通の村だったのが、改革開放後、1980年代より広州の都市化によってこの村が都市の波に飲み込まれていきます。このように古くからの村が都市の中に取り残されているエリアは広州には幾つもあり、「城中村」と呼ばれます。

この石牌村は、その周囲が発展していく中で村が単に取り残されるのではなく、地方からの出稼ぎに来る労働者を大量に吸収しながら独自の進化を遂げていきます。取り残された狭いエリアに雑多な人が集まり、建物も次第に密集し、カオスなエリアになっていった。これが石牌村です。約1平方キロメートルの範囲に5万人以上の人口があるといいます。

特に隣にあるコンピュータ関連の集積地、岗顶という所があり、かつてそこを目指してきた人たちがここにまず居を構えたらしい。

予備情報はこれまでにしてさあ行ってみましょう。

潜入

先ほども話にあった岗顶の地下鉄の駅を降りると、周囲はパソコンや携帯電話を売る秋葉原のような賑やかなエリアですが、その隙間に石牌村の入り口があります。ご丁寧にも立派なゲート付き。

中に入ると白壁の道をまっすぐ進むのですが、さっそく公安の派出所みたいなものがあります。

さあここからが本番だぞと雑踏に入りますが、また派出所。

さっき30m手前に見たばかりなのに。この街が普通の場所ではないことを物語ります。

さっそく、この石牌村の不動産情報の掲示板があります。

ワンルームや1LDK、2LDK等の間取りと電話番号が載ったカードがざっと100枚くらい貼ってあります。これを除いてみると、すぐにおばちゃんが近づいてきて、賃貸借りるのか?と聞いてきます。興味半分で物件見学でもして、短期間借りてみたいですが、それは次の機会にしましょう。800元ほど(1万円3千円ほど)から借りられるようです。

さらに進んでいくと最初は普通の密集した商店街くらいだったのが、だんだんと暗くなっていきます。というのも、とにかく建物が密集しているので真昼に行ったにもかかわらず、太陽の光はわずかしか届かなくなってきます。

道を挟んで向かいの建物とはほぼゼロ距離のレベルで建物がせり出していますね。無計画な建設や増築が行われてきたのでしょう。

この石牌村ですが、こんなに髪を切る人は世の中にいないだろってくらい至る所に床屋があります。

中は至って普通の床屋で、お客さんも中にいたりいなかったり、いれば普通に髪を切っています。これは何かというとこの石牌村にはかつて大量の娼婦がおり、怪しい光が至る所で漏れていた名残だそう。今では全くそのような様子はありませんが、これまで幾度にもわたってこの石牌村の風紀を正すために、公安による掃討作戦が行われているようです。

やはり大量の地方からの労働者(主に男性)が集まるところには、そのような女性が地方からたくさん集まるというのは、どの国でも同じようです。まさに需要と供給がマッチしているということですね。世の中がうまく回っていることがよくわかります。

少し開けてたところに出ると、「石牌幼稚園」という幼稚園もあります。

石牌幼稚園

これまでの暗闇の世界から打って変わって一気にポップな雰囲気。

市場もありますが、この市場は丸ごと全部貸し出されるそうです。丸ごと貸し出しというと、どのような人が借りるのでしょうかね。

山前市場

海鮮を売っている魚屋もありますが、照明の色が紫っぽい色で全くおいしそうに見えません。

ネオンに輝く魚屋

そして中には多くの外卖(デリバリー)の担い手となるライダーをたくさん見ます。

デリバリーライダー

単純にこの石牌村の中の食堂で作られた食べ物を運んでいるというのもあると思いますが、恐らく広州に来ている多くのライダー達はここに住んでいるんでしょうね。中国では家とかクルマとかを持っているライダーもいるそうですが、このように地方から来た人たちの一部は、石牌村に住んでどこかの工場で働いたり売人をするとかではなく、まずこのデリバリーをやるというのは、中国の時代の移り変わりを感じます。

中には非常に狭いお店も多くあります。

このお店担々麺を作っているお店だそうですが、二階に行くための階段はもはやはしごです。

このように中国の寺院ともいえる廟なんかも幾つか目にします。

ここは天后古廟と書いてありますね。海の神様の媽祖を祭ったもので、福健や台湾、広東省東部の沿岸地域等によく見ますので、広東省東部の潮州やスワトウ等その辺りの出身の人たちが建てたものでしょうか。

この町の中には四川料理や湖南料理が多く、それ以外も広東省というよりも内陸の人たちが好みそうな料理が多くみられました。潮州スワトウ地域の食堂はありましたが、広州地域の料理は少ない印象です。中を歩いていて耳に入ってくる言葉は、内陸の訛りの言葉か標準語が多く、広東語は2割くらいでしょうか。やはり、外から来た人が多く、本当の意味でこの村に昔から住んでいる人、もしくはその子孫は少なそうですね。

このように空から降ってくる光が一本の線になり、この写真ではわかりにくいですが、中世ヨーロッパの教会のステンドグラスのように美しい(?)景色もありました。

この石牌村に来ると、光の有難さというものを肌で感じます。日照権という概念がありますが、この石牌村にはないに等しい場所がほとんどですね。こうやって真昼でも暗く、光を失ってみて初めて、この太陽の光というものを感じることが出来ます。

そして、中はひっきりなしに大きな荷物を引っ張る人がいるので、すれ違うのも一苦労です。

この写真のようにデリバリーの人と何も文句も言わず協力しながらすれ違っています。これがここの日常のようですね。

コインランドリーもありました。

住んでいるところに洗濯機がないというのもざらにあるでしょうから、このようにたくさんの人ここに来て洗濯をしているようです。

この石牌村を歩いているとだんだんと気づいてくるのが、道がそこら中濡れていることです。

暑い季節になると、そこら中でエアコンをつけることになるので、その室外機から落ちてきた水によって、道は基本的に濡れており、頭にもよくエアコンの水が降ってきます。普段はその室外機の水が当たらないように歩くのですが、ここに来たらもう避けようがありません。このせいか空気がもわっとしています。

中にはこのような池もあります。正直もうお腹いっぱいです。

ここで気持ち的に少しいったん休憩・・・

さあ、次へ行きましょう。そして、中にはこのようなお年寄りも見ます。

このおばあさんはどの時代にこの石牌村に来たのでしょうか。それともここに生まれ育ったのでしょうか。

全体的な印象ですが、この石牌村には若い人もお年寄りも見ます。ですが、お年寄りは少ない印象でしょうか。このように古くからあるような地域だとお年寄りが多くなりそうなものですが、この土地は、地方から来る人達がまずここに落ち着き、苦労しながら成功してきたらまた出ていくという人の入れ替わりを繰り返していることから、ずっと年を取るまでここにいるという人は少ないのでしょう。実際に外から人が大量に流入する前の人たちの多くは既にここからは既に出ているといいます。

この町には珍しく、ハンバーガーショップ?なんかもあります。

でもメニューをよく見ると、そのままマクドナルドのメニューやないかい!という感じです(笑)オリジナルメニュー(当たり前ですが)もあるようです。しかも、右側のポテトの入れ物にはちゃんとMの字は消えていますね。一体どんな味がするのやら・・・

時々このように迷彩服を着た警察と思われる人たちがパトロールしています。わざわざ迷彩服を着てるし、3人でチームを組んでいるあたり、この石牌村かなり重点的に見張りを効かせているんでしょうね。

この石牌村、以前に私も来たことがあるので、地図を見ずとも、ちゃんと出たい方向に出られると思ったら大間違い、途中でアレ?ここ通ってきた道だぞ、みたいな感じでなかなか方向感覚がつかめなくなります。私も割と方向感覚は悪くない方なのですが、今石牌村の西の方にいるかな、と思っていても、地図アプリで今の場所を見ても東側にいる・・・

何だか昨日食べた火鍋が効いているのか、おなかの調子が悪くなってきたし、早くトイレに駆け込みたい・・・

それに地図アプリで現在位置を確認しようとしてもGPSも入りにくいのか、位置がちゃんと検出されず、地図アプリを使ったとしてもここを思ったように歩くのはなかなか厳しいですね。

そんなこんなでやっと視界開けてきた!出口も近いぞ!太陽がまぶしい・・・

石牌村の南の入り口の方は観光地みたいにお店が並びます。

ふぅー、中国の有数の大都市、広州に戻ってきましたね。

やっと深呼吸できました。

まとめ

今回この石牌村を1時間ほど歩いていたのですが、だんだんときつくなってきます。夜には来たくありませんね。

この町の中にはある種の空気が充満しています。まずは臭い。肉屋の生肉の獣臭さ、魚屋の生臭さ、生ごみの臭い、食堂の香辛料や油の気化した臭い。そして、路面のたまった水だったり、空気の抜けない構造からくるもわっとする暑さ。それだけではなく、狭い道や迫りくる建物の圧迫感だったり、この薄暗くお世辞にも良くない何とも言えない雰囲気。私も比較的このような空間は慣れているのですが、早く外に出たいと思うようになります。

さて、今回の石牌村ですが、期待していたような九龍城のようなカオス感は今も残っていると言えるでしょう。今でこそ厳重な警察の警備や浄化活動によってかつてのような混沌はなくなったようですが、かつては違法な経済活動等も行われていたでしょうし、今も随所に足跡が見えました。

写真と私の文章では全てを伝えきれていないかと思いますが、ここは外の世界とは全く異なります

この町も今後他の城中村と同様に広州の都市計画により取り壊されてしまうのかもしれませんが、もしそうなった場合にはこの独特の雰囲気がなくなってしまうというのは寂しい気もします。そして、中国の都市に出てきて、このような場所で暮らしたことのある人も多くおり、ある意味で懐かしさを感じる場所かもしれません。

最後に、中国の発展を象徴するような広州の都心部である天河や珠江新城に程近い所にこのような城中村があるというのは本当に驚きです。もし興味がある人はこの石牌村に行ってみるのはいかがでしょうか。この中に入ってなかなかいい気持ちにはなりませんが、色々肌で感じる事もあると思いますし、このように時代に取り残された場所が今もあるのだと気づくことができるでしょう。


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futsunokaishain

普段は都内某所に暮らすどこにでもいそうなフツーの会社員。でもちょっと面白い生活を送りたい!そんなfutsunokaishainです。 このホームページを運営している目的ですが、 まずは自分のノウハウや経験などを世の中に発信して皆さんの少しでも役に立てたらという考えから。それから、フツー会社員でありながらも会社という枠にとらわれずに自分の価値を出していきたい、という思い。 さらに、少しでも小遣いの足しにできたらなぁという淡い願い。 という感じです。 そんなこんなでやっています。 よろしくお願いします!

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